愛猫の死が乗り越えられない

わさびが死んでしまってから2週間経った。たぶんペットロスになった。常にぼんやりしてるしすぐ涙が出てくる。つらい。
気持ちの整理をしようと思って文章にしたけど何も整理できなかった。文章推敲しようとすると涙で画面見れなくなるからもういい。
以下思い出の話。悲しい。
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半年前に子猫を飼い始めた。
ペット可の物件に引っ越して1年、ほねちゃんが会社を辞めて心が荒んでた時にやっぱり猫飼いたいねってなった。
ある日保護猫団体のサイトに掲載されている写真を見てたらめちゃくちゃかわいい猫が居て、これは運命だと思ってすぐに里親の面接を決めた。雑種の猫には珍しい全身灰色でロシアンブルーみたいな猫だった。実際に会ってみると病弱で臆病で、やっぱりめちゃくちゃかわいかった。即決してすぐに連れて帰った。
帰りの電車で心細そうにみうみう鳴いてたのを今も思い出す。JRは手荷物切符が必要だけど、メトロは特に何もいらなかった。途中の駅で帰宅ラッシュに巻き込まれそうになって普通電車を待ってる時に、私立の小学生達が何の動物かな?みたいな感じで静かにそろそろ通り過ぎてくれてなんかよかった。
猫の名前はわさびにした。完全に音の響きだけで決めたけど、出会った時猫風邪で涙目だったから寿司用語で涙=わさびってことにした。
わさびを迎える準備は万端だった。キャリーは手提げのハードタイプとリュックタイプを買ったし、二階建てのケージにハンモック、トイレも爪とぎもベッドも用意した。キャットタワーは買ってないけど、テレビ台を猫が登れるタイプの物に新調することにした。電源コードを噛んだら大変だから、全ての電化製品のコードを保護した。
臆病だけど、割とすぐ慣れてくれた。とことこ走り回ってかわいい。ごはんもよく食べたしお水もたくさん飲んだ。ちょうど歯の生え変わりの時期で毎日ぽろぽろ歯が抜けた。かわいい。
とってもかしこくて、トイレしたい時とかした後とか叫んで教えてくれたし、失敗もしなかった。子猫のうちはトイレ前にドドドドと走って大運動会だった。かわいい。
トイレもそうだけど、他の部分もすごいかしこくてすばらしい猫だった。コードはあんなに苦労して保護したのに全く噛まないし、爪も爪とぎも以外では研がない。うっかり椅子とかで爪とぎしてもダメだよって言ったらすぐやめてくれた。呼んだら元気にお返事してくれるし、キッチンとかの台にも乗らなかった。冷蔵庫の裏とか洗濯機の下に入ったら大変だと思ったけど結局入らなかった。
もらって来てすぐ病院に連れて行ったらコクシジウムという寄生虫がいるようで、完全に除去するのに1週間くらいトイレを熱湯消毒したり色々大変だった。毎回トイレを洗いまくってなんかすげー水使ってしまったようで水道代がいきなり倍くらいになって水道局から心配された。お風呂は保護施設から引き取ってすぐに一回だけ入れたけど、めちゃくちゃ怖がってたからかわいそうだった。次回以降は体を拭くシートで済ませることにした。
元気な時はおもちゃで延々と遊んでくれた。特にトイレットペーパーの芯とカシャブンが大好きだった。トイレットペーパーの芯は遠くに投げると走って取りに行って咥えて戻って来る。犬かな?
カシャぶんはたぶん他の猫たちと同じで食いつきがすごい。わさび、魚だったら一瞬で釣られてるよ。遊びすぎてすぐ壊れた。体調を崩してからは走り回ることはなかったけど、カシャぶんを目の前に置いたらすごい勢いで咥えてお家に持って帰って行った。捕まえた時誇らしげでいいよね。絶対離さないし、一瞬で羽が千切れて笑った。あとはネズミがびょんびょんするやつも大好きだった。噛んで遊んでくれるかと思ったうさぎちゃんと謎のボールは遊んでくれなかった。シャカシャカするトンネルも大好きでいろんな穴から出たり入ったり忙しく遊んでた。
ごはんはよく食べるけど、たまに急に食べなくなってそれから数日全く食欲がなくなってしまう事が何度もあった。それと重なって元々病弱だったからか毎月猫風邪が再発して、熱が下がらなくてくしゃみ鼻水だらけの日々が続いた。
パウチのやわらかいごはんとか缶詰とかあげると、1回目はむしゃむしゃ食べるけど2回目に同じごはんをあげると「その技はもう見切った」みたいなそぶりで一切食べてくれなくて困った。唯一大好きだったのが鶏肉を茹でたやつで、これはめちゃくちゃ食べてくれた。何個か茹でておいて冷凍しておいてレンジで解凍するんだけど、冷凍庫開けたりレンジの音がすると「鶏肉があると聞いて来ました」みたいな感じでどこからともなく現れて早くーって鳴くのかわいかった。毎月風邪をひくので強くなってもらおうと「負けないキャット」というサプリを買った。勝つ。
わさびがいるのは幸せな日々だった。ほねちゃんも毎日わさびとゲームしたりお昼寝したり遊んだりできて心が癒えてよかった。
もうすぐ1歳になるのに体重は一向に増えなかった。一度は2.7kgまで増えたけど風邪で食欲がなくなって2kgから増えなくなった。色々ごはんを変えたり無理やり口に柔らかいごはんを塗りつけたりしたけど改善しなかった。
どんどん体重が減っていって1日の大半を眠って過ごすようになった。起きてる時もぼんやりしてたりベッドに入ってるようになった。
ある日後ろ足がふらふらし始めて、すぐに病院に連れて行ったけど、熱が高いからかもしれないと言われて熱を下げる薬をもらった。毎日飲ませたけどどんどん悪くなっていった。ごはんも全然食べられなくてちゅーるを無理やり上顎に塗りつけて飲むように食べさせた。すごい嫌がってた。ごめんね。その時はもう1.6kgくらいしかなくて、最初にうちに来た時よりも痩せ細ってしまった。水はたくさん飲むけどごはんは食べられない。全然動かないし動いても一歩歩くとへたりこんでしまう状態になった。
ついに前足も動かなくなってしまい、さすがにおかしいと思って他の病院に行った。生きているのが不思議な状態と言われた。できる限りの事をします、と血液検査と点滴とか注射をしてくれて、一旦預かってもらうことになった。なんでもっと早くここの病院に連れて来なかったんだろう。悔やんだ。
病院から電話があって、一度お返しできる状態になりました。と言われたので引き取りに行った。全然よくなってなかった。ひどい貧血で血液検査もギリギリできた状態で、病名が何か検査して判断する分の血液は採れなかった。でも病状から判断するに、猫伝染性腹膜炎という不治の病が発症した可能性が高いと言われた。そんな不治の病なんて今時まだあるのか。これは発症したらほぼ100%死に至る病で、回復は見込めない。穏やかに過ごさせてあげることしかできない。まだ決まった訳ではないけど、とりあえず予断を許さない状態なので点滴とかは継続して治療したいけど猫はいつもと違う場所に置いていかれるのがすごいストレスになってしまうので、入院よりも短時間預かる方がいいということで一度お家に帰ることになった。名前を呼ぶと帰りたそうに不安な声で返事してくれた。
次の日も朝から預かってもらう約束をして、病院を後にした。先生が直通の電話番号を教えてくれて、もし今日の夜に何かあったらかけてくださいと言ってくれた。ありがたい。家から結構距離がある病院なので歩いてる途中にわさびが力尽きないか心配で名前を呼びながら足早に帰った。
大好きなお家に帰ってお気に入りのベッドで横にならせた。ついこの間ニトリで買った夏用の船型ベッドで最近はいつもここで寝てたからたぶんお気に入りだと思う。夏に備えて買ったのに、まさか夏に活用できなくなるとは思ってなかった。ジェルが入ったひんやりマットも凍らせたペットボトル入れるくまちゃんのカバーも夏になったらたくさん使ってくれるかなと思ってたのにね。
病院で食べさせてもらった療養食の残りを持って帰って来たので少しあげたけど全然食べられなかった。大好きな鶏肉なら少しでも食べられるかなと思って茹でてあげた。ほんの少しだけ食べたけど、もう食べ物も嫌みたいでよろよろ立ち上がって寝返りを打って向きを変えてしまったしまった。わさびが元気になると信じてたくさん鶏肉茹でちゃったよ。実は私たち鶏肉あんまり好きじゃないんだよ、わさびのおやつのためだけに胸肉買ってきて茹でて残った分を食べてたんだよ。
もうずっと瞳孔が開きっぱなしで目が真っ黒になった。そういえば家族3人で集合写真撮ったことなかったなと思ってこんな状態だけど写真を撮った。人間のエゴに付き合わせてごめんね。
顎の下を撫でたらスリムだった顎の下がぷよぷよしてる事に気付いた。脇の下も同じくぷよぷよになってた。皮下注射とか点滴したからかな?と思って病院に聞こうかと思ったけどもう営業時間外で繋がらなかった。先生にもらってた直通の電話番号にかけることにした。留守電だったのでメッセージを入れて、折り返しを待った。顎の下と脇の下がぷよぷよしてることを伝えると、病院から出る時はそんな症状はなかったので診てみましょうということになった。わざわざ病院を開けておいてくれるらしい。ありがたい。先生が家に行きましょうか?と言ってくれたけど、そんな迷惑はかけられないので急いで歩いて向かった。診察の結果、このぷよぷよは黄疸の症状のようだった。耳の裏とかも黄色っぽくなっていて、これは血液がどんどん壊れてしまっているらしい。今後できることはもう無くて、安楽死させるか、激しい痙攣が起こらないように神経系の注射をして穏やかに最期を迎えるまで眠りながら過ごさせるかどうかだった。安楽死だと診療台で注射してすぐに終わりを迎えてしまうのであまりおすすめしませんと言われた。最期は大好きだったお家で、慣れ親しんだ匂いの中撫でてあげたりして穏やかに過ごさせてあげた方がいいって。苦しまないでお家で過ごせるならその方がいいと思って、痙攣が起こらないように注射してもらって家で看取ることにした。悲しくて二人とも泣いた。最後に先生が「あなたたちはとても良い飼い主です、この心の傷が癒えた頃必ずまた保護猫を飼ってください、きっと素晴らしいことが起こります」と言ってくれた。急に良い話みたいにまとめてきてちょっと笑ってしまった。そして時間外に押しかけて来たのにお代は結構と送り出してくれた。とても良い先生で、最初からこの病院に来てればもしかしたら助かってたのかなとまた悔やんだ。
帰り道、二人で泣きながら早歩きで帰った。わさびはもうお返事してくれないから心配になって何度も息してるかを確認した。
家に着いたらベッドに寝かせてあげて見守ることしかできなくなった。注射してもらったからもう感覚がないのかもしれない、本当にただすやすや寝てるだけみたいに見えた。手足は全然力が入ってないし、尻尾もだらっとしていた。いつもご機嫌に尻尾直角にあげて歩いてたのにね。眠るように息をしながら穏やかなわさびをひたすら撫でて、泣いた。途中息が止まってしまったけど、揺すってたら息を吹きかえした。びびった。ほねちゃんと交代で寝ずの番をすることにした。私は次の日仕事だったけど、休ませてもらうことにした。定期的にひっくり返して寝返りをさせて、おしっこが無限に出てくるから足の間にティッシュを挟んであげたりシーツを替えたりしてあとはずっと撫でたり泣いたりした。おしっこがマジで無限に出すぎて、このままじゃ干からびちゃう!と泣いた。その次の日はほねちゃんが就職の面接の日だった。ほねちゃんが居ない間に力尽きないでくれわさびよ!と思ったけど大丈夫だった。穏やか。午後は私が仕事に行かないといけなくて、わさび穏やかであれと祈った。私の匂いが近くにあるのがわかるように、パジャマを顔の下に敷いておいた。結局その日も大丈夫だった。2人ともいつ寝たかとか昼夜の感覚がわからなくなって、水、木と穏やかに時は過ぎていった。もしかしたらこのままいつまでもすやすやオブジェとして存在してくれるのでは?と思うほどに穏やかだった。ベロが出っぱなしだったから乾燥して固まってしまうので気づいたら水で濡らして口の中にしまったりした。寝返りさせた時に口元がペロペロ動く時があって、その時はシリンジで少しお水を飲ませたりできた。調子に乗ってちゅーるも少しあげた。目も少し空いてて乾燥しちゃうから目薬点そうかと思ったけど、目薬されるのすごく嫌がってたからやめた。こんな状況で嫌なことされるのはかわいそうだよね。金曜も仕事休んだ。今わさびより大切なものはない。今まで鼻で呼吸できてたけど、急に口呼吸になってしまった。呼吸のたびにピスピス音がして辛そうになってきた。水をシリンジであげたりしてたけど、もう水分が無いのかおしっこも出なくなってきた。心なしか体とか肉球がひんやりしてきたような気がした。次の日仕事なのでほねちゃんに任せて寝た。早朝叩き起こされた。6/8 3:50ごろついにわさびの息が止まってしまった。しばらく心臓は動いてたけど、どんどん鼓動が弱くなって止まってしまった。血が巡らなくなったから耳が黄色くなってロウみたいな質感になってしまった。わさびちゃんがんばったね、悲しいねと泣いた。もうダメかと思った帰り道からもう5日も経ってた。本当にがんばってくれた。ほねちゃんはこの5日間もらえたから気持ちの整理がついたって言ったけど、そんなことないよぐちゃぐちゃだよ。ふとした瞬間にすげー涙目になるし号泣するし。家中わさびと過ごした思い出しかないから何見てもフラッシュバックして泣く。
腐ってしまうとより悲しいので火葬の手配をした。ブランケットの上に横たえて、保冷材でお腹を冷やした。内臓から腐ってしまうので内臓を早く冷やさないとダメらしい。部屋の温度も下げないとだから20度の冷房をかけた。すげー寒かったから少し温度上げるかってほねちゃんがうっかり暖房をつけ始めて焦った。やめろ!わさびゾンビになっちゃうだろ!!冷やしてしばらくすると体は固くなって肉球もとっても冷えてしまった。さっきまであんなにあったかくてふわふわだったのに、なんだか毛もぺたんこになってしまった気がした。いつか猫毛フェルトでわさびを作ろうと思ってたけど、毛を貯められなかったので尻尾の毛を少しだけもらうことにした。ファーミネーターで梳かしてジップロックに保存した。火葬をするので、仕事は早退した。
夜、わさびはカチカチに冷えてた。肉球は氷みたいに冷たくて、うす茶色だったのが黄色っぽくなってた。手も足も動かないし、尻尾も持ち上がらなくなってしまった。悲しくて悲しくて泣いた。泣きすぎたからか、魂が抜けたからか匂いを嗅いでも何も感じなかった。いつも体に鼻埋めたり肉球の匂い嗅がせてもらってたのにもうわからない。濡れた時はちょっと臭かったけど、ふわふわの時はいい匂いだったんだよね。
火葬の時に一緒に入れるおやつとごはんを用意した。ひまわり畑に猫が描かれてるポチ袋があったのでそれを買ってきてごはんを詰めた。夏のひまわり見たかったね、わさび。
葬儀会社の人が来て、色々説明して儀式を執り行ってくれた。末期の水を口に含ませてあげて、体をタオルで清めて、小さくてかわいい数珠を手に付けてあげた。外に停めた炉のついた車でそのまま火葬ができるらしい。どういうシステムだ?ごはんと一緒にわさびが大好きだったおもちゃとしてネズミとトイレットペーパーの芯を入れてもらうことにした。カシャぶんはプラスチックだからダメ、お船のベッドも炎が出過ぎるとやばいからダメだって。
清めたわさびを外に連れて行く時、いつもよりもとても重く感じた。病院に連れて行った時は羽根のように軽くなってしまってどうしようかと思ったのにね。ほねちゃんにも最後にずっしり感を共有して炉に入れた。ごはんとおもちゃを並べて、扉が閉められた。もう引き返せない。発電機?エンジン?をかけると車の上部から火の粉が飛び散りはじめた。どういうこと!?40分くらいで火葬が終わるそうなので家に帰った。家に帰ってまた泣いた。もう感情が終わってしまったので何のきっかけもなく泣くようになってしまった。わさびが帰って来たらどこに居たいかなって考えて、テレビ台の上に遊ぶ用のスペースがたくさんあるから一番広いところに置いてあげることにした。今度かわいい写真を印刷してきて写真立てに入れて飾ろう。40分くらい経って骨壷を受け取りに行った。最初に渡しておいたデータでメモリアルグッズとカードを作ってくれてた。こんな短時間で印刷も火葬もできるなんてこの車すごいな。そのあと骨壷を渡された。袋越しでもまだ熱くてほかほかした。中を見ますか?と聞かれたので見せてもらうことにした。泣くかと思ったけど意外と冷静に見られた。骨だなー。元々小さかったけどもっと小さくなっちゃうんだなー。頭蓋骨も小さくて、獣医さんに顎が小さいって何度も言われたのを思い出した。これで全て終了したのでお家に帰った。蓋がカタカタ鳴るから不安になってもう一回開けて蓋を載せ直した。
テレビ台の上に骨壷を設置して、首輪も一緒に置いた。首輪は気になるのかすぐに外してしまってたぶん1週間も付けてなかった。熱かっただろうからお水をお供えした。
次の日、アクリルの写真立てを買ってきて、一番元気だった頃の写真を入れた。周りが透明だからそこに小さいわさびが座ってるみたいで泣いた。お花もお線香も見たこと無いのに急に供えられたら驚くだろうから、黒缶を模したろうそくを買ってきた。仏具屋に踏み入れたのなんて初めてだよ。49日にはこの缶詰を食べてから天国へ向かってもらおう。化けて出てもらってもいいよ。生まれ変わったらもっとお金持ちとか王族の家で優雅に暮らしてもらいたいけど、家に来てくれたらうれしいな。
今は毎日つらいけど、いつか泣かずに思い出を語れる日が来るんだろうか。
ありがとうわさび。また会おうね。